昭和中期の転職事情…今の50歳からの転職を鑑みる

今の時代は転職に適している?

50歳から新たな仕事探しをされている方は、「今の世の中、なかなかやりたい仕事がみつからないな」とお嘆きではないでしょうか?本当にやりたいことをやりたい、そのためには今の仕事を辞めて転職したいと思われる方もいらっしゃるでしょう。

21世紀に入り、職業に対する考え方やとらえ方も変化し、終身雇用制も崩壊しつつあります。若者は早い段階で会社に見切りをつけ、数年で会社をやめ転職していますが、50歳を過ぎて転職するよりは、リストラなどをされずに一生会社にいたほうが楽という考えもあるかもしれません。

これからの未来がどのようになるか、そして、50歳になってからでも転職するチャンスはあるのか?自分は十分にあると思います。その根拠として、自分の父が何度も転職を繰り返しながら自分たち家族を育て上げてきたことを知っているからです。

昭和中期の転職事情とは

自分の父は、高度経済成長期のまっただ中で何度か転職を繰り返しました。その結果今の自分があるのですが、ただ感傷的になってこのようなことを述べているのではありません。昭和中期という、日本にとって特別な時代のことを考えることで、50歳から転職をお考えの方に参考になると思ったからです。

太平洋戦争後、それは新たな時代、そして新たな産業構造の幕開けの時代でもありました。まだ満足に歩けないうちに終戦を迎えた父は、いわゆる貧乏子だくさんの状況の中、高等教育を受ける機会もなく働き始めることになりました。

家計の事情などもあったのでしょうが、満州帰りで6人兄弟の3男であった父は高校卒業後にすぐに働きに出る必要がありました。その当時の転職事情はどうだったのか?そのことについて父は語ることなく亡くなりましたので、親戚や友人など他の人の伝聞から探るしかありません。ただ、父が働き始めたときは戦後20年近く経っていたので、かなり多くの仕事が増えつつあった時期のようでした。

「Always 三丁目の夕日」のような時代

父は、いわゆる団塊世代のちょっと前の世代です。つまり父が生きていた時代は、ちょうど以前はやった映画「Always 三丁目の夕日」のころだと言えば想像できるかもしれません。田舎からの集団就職がとても盛んに行われていた時代です。

その映画の中では、いろいろ懐かしい情景が描かれていましたが、若い人にはぴんとこない部分もあるかもしれませんね。ちょうど高度経済成長時期の東京の下町を舞台にしているため、時代の移り変わりがとても顕著で、貧しいながらもせいいっぱい生きる人々の姿が描かれていました。

ちなみにその映画の中でも新たな職業が生まれたり消えたりしていました。例えば、主人公一家は最初「氷ボックス式の冷蔵庫」を使用していました。これは、最上段に氷の塊を入れ、その冷気で冷蔵庫内の食べ物や飲み物を冷やす物でした。そのため、氷を売り歩く「氷売り」という商売が成り立っていました。しかし、電気式の冷蔵庫がどんどん普及することによって氷売りのニーズが激減しました。氷が売れないと溶けるだけで損ばかりしてしまいますので、転職を余儀なくされた氷売りもどんどん増えたことでしょう。

映画で登場した氷売りのおじさんも、転職することになりました。アイスキャンディー屋に転職した後、彼が次に選んだ職業はなんと「自動販売機の見張り」。本来自動販売機に見張りなど必要ないのですが、自動販売機が盗まれないか心配で常に見張っているのだそうです。笑い話のようですが、今のように多くの自動販売機があふれている日本とは違い、当時はまだ治安も悪かったでしょうし、海外では現在でも盗まれる、破壊されるなどの理由で自動販売機が普及していない場所が多いと考えると、うなずけなくもないですね。

父の転職記

さて、父の話にもどりますが、自分の父は8回ほど転職をしていたそうです。本当は記録に残っていないだけでもっとたくさんしていたかもしれません。父は自分の過去のことをあまり話したがらない性質だったので、そのことを自分が知ったのは父の死後、厚生年金保険の遺族厚生年金を請求したときでした。ただ、厚生年金保険を払っていない時期がほとんどで、途中から自営業になっていたので遺族厚生年金は雀の涙程度でしたが。

父がついた職業で分かっているものとして

  • ダンボール工場の作業員・・・今で言うアルバイトのようなもののようです。ちなみに給与表によると、当時のお金ですが日給数百円程度だったようです。
  • 単純肉体労働系作業・・・これについては親戚から仕え聞いただけなのではっきりわかっていませんが、やはりアルバイトの延長のようなものだったようです
  • 自衛官・・・短い期間ですが、自衛官として勤めていた時期があり、それが父の誇りだったようでした。そのため、父から直接聞いた数少ない職業です。
  • 自動車整備工場・・・車の修理、整備を行う工場労働です。自分が生まれる前から生後間もないころまで行っていました。給料は月給10万円前後だったようです。
  • 保険会社代理店・・・自動車整備工場におこったあるトラブルにより転職し、慣れない営業職に就きました。年収100万円程度だったようです。
  • 飲食店自営業・・・子供の養育費も必要になり、40歳近くになってから初の飲食店を始めました。季節により収入が左右され、月数十万円~100万円程度でした。
  • 生活の安定を求めて

    50歳以上の方なら、どんどん時代が移り、生活が便利になっていった時代に子供時代を過ごされたかもしれませんね。三種の神器とも呼ばれた「白黒テレビ、電気冷蔵庫、洗濯機」も普及していく中、いろいろな可能性を求めてどんどん次の仕事探しをする、という生き方も当時としては珍しくなかったのかもしれません。そういう時代は新たなビジネスが生まれるチャンスでもあります。今であればIT関連の仕事は当時に比べ明らかに増えていますし、それから派生した物やサービスが売れるようになってもいます。そう考えると、若者よりも、昭和中期の子供時代をすごして来られた50歳以上の方の方が新たなビジネスチャンスに敏感かもしれませんし、転職の企業選びの目も確かかもしれません。

    例えば、液晶テレビの普及率を見てみましょう。
    昭和中期に白黒テレビから、ブラウン管のカラーテレビが登場し、全国に普及しましたが、21世紀に入り急速にブラウン管のテレビが姿を消し、代わりに液晶テレビが普及しました。
    その推移は下記の表の通りです。

    「世帯主年齢階層別 液晶カラーテレビ普及率」
    内閣府の消費者動向調査より


    29歳以下 30歳から59歳 60歳以上
    2005年 7.9% 10.7% 10.5%
    2008年 31.4% 40.6% 37.9%
    2011年 69.7% 82.3% 84.8%
    2014年 90.3% 98.7% 94.8%

    この表をご覧になればおわかりのように、2005年には10人に1人程度しかもっていなかった液晶テレビがわずか10年後には10人に9人程度がもつようになっているのです。

    この変化を見て、50歳以上の方なら、白黒テレビからカラーテレビへの変換を連想されるのではないでしょうか?白黒テレビが一気に姿を消し、代わりにカラーテレビがいつのまにか普通になりましたよね。そして2015年以降は、実は液晶テレビの普及率は頭打ちになり、むしろ下がりはじめてさえいます。

    転職の企業選びの目とは、つまりこういうことです。自分の過去の経験を生かし、その時代のトレンドと自分の経験を照らし合わせて、どのようなビジネスに取り組んでいる企業がのびるかを見極めるのです。そして、人生経験豊富な50代の方が、20代、30代よりも目が肥えているので転職に有利なのです。

    さて、父の話にもどりましょう。そして最終的に父が選んだのは、保険会社の代理店もやりつつ自営業の料理屋をすること。父にとっては未知の領域でしたが、幸いなことに母に接客のノウハウが有り、またちょうどバブル経済まっただ中で、しかも今のようなチェーン店も少なかったため、この自営業開店は時流にのった転職でした。

    これからの「転職」はどうなる?

    ざっと、父の転職体験についてふりかえってみました。ここまで読まれて、きっと「50歳からの転職をするならそれなりの覚悟が必要かな」、とか「昭和と平成では時代が違うよ」などいろいろな考えが逡巡していることと思います。確かに昭和という時代は激動の時代でした。しかし、現在も大きな経済の変革期にさしかかっています。インターネットの普及、ロボット機械産業の発展、少子高齢化とそれに伴う外国人労働者の増加などで、今までの職業の需要がなくなり転職する必要がでてくる可能性も高くなってくるでしょう。

    そのような現代社会で、「なんとか安定した生活を送りたい」と思われるかもしれませんが、近年多発している地震や土砂災害など、いつなにが起きるか分かりません。安定にしがみつきすぎていては、かえって不幸になってしまうかもしれません。そうならないために、もう少し昭和という時代での職業、転職のことを深く考えてみる必要があるのかな、と思っています。そうすることによって、平成の現代において、50代を迎えても転職ができる考え方につながるのかな、とも思います。

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